同時刻。香港、九竜塘《カオルンとう》。
重宗《しげむね》ファイルには、黒い革表紙がついていた。ルーズベルトの癖のあるサイ
ンと、重宗|伊作《いさく》の毛筆のサインが並んでいた。
李正元《りしようげん》《いぬこはんいちろう》は、パタンと表紙を閉じ
た。何かが間違っている。
犬子恨一郎は必死に、村井玲子の背中を思い出していた。
だれに似てるのだ。
それさえ分かれば、このいらだちから逃れられる。
長椅子を回転させ、
「本当に金正日《キムジヨンイル》書記は私
水解蛋白を建国の父にしたいと言っているんだね」
「もちろんでございます」
「このファイルを渡すのは、祖国統一が条件だよ。私は一度だって祖国のことを忘れたこと
はないんだ。やむなく日本に連
嬰兒敏感れていかれたが、私の身体には朝鮮民族の熱い血が流れてい
るんだ」
と、カン・マンスーの息づかいが荒い。
「どうした」
「伏兵《ふくへい》が現れたもので」
窓の外を見た。庭の芝生
母乳餵哺が血に染まっている。黒眼鏡をかけたチェの死体が転がっていた
。
「岡野が来たのか」
「はっ」
「何人失った」
「七人を」
「やるもんだな、岡野も」
ソ連領事館の地下にテレックス室がある。
世界中の共産国から、昼夜を問わず情報が流れてくるところだ。
この日も、十台のテレックスが休むことなく長い紙を吐き出していた。ほとんどの館員が
『ピョンヤンの闇』に殺されてしまった今、その紙を取り上げる者はいない。テレックス室
の床は、紙で埋まっていた。